2008年08月24日

'05 11/19 第3回埼玉県民の集い 横田拓也さん(拉致被害者 横田めぐみさんの弟)

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*あおいのパパとママは2005年11月19日に行われた「第3回拉致問題を考える埼玉県民の集い」(救う会埼玉主催)にボランティア参加をしました。当日は約300人の皆さんが会場の埼玉会館小ホールに足を運んでくださっていました。講演は拉致被害者 田口八重子さんの兄で現家族会代表の飯塚繁雄さん、拉致被害者 横田めぐみさんの弟・拓也さん、特定失踪者問題調査会現副代表の真鍋貞樹さん、そして埼玉県内外の特定失踪者ご家族5人が訴えをされました。当日の講演要旨レポートは徐々にご紹介してまいります。今回は横田拓也さんの訴えをご紹介致します。聞き取りに間違いのある可能性もございます。どうぞご了承ください。

【拉致被害者 横田めぐみさんの弟・拓也さん】
 皆さま、こんばんは。(会場から「こんばんは」)ただ今ご紹介にあずかりました横田めぐみの弟の横田拓也と申します。よろしくお願い致します。まずは始めに冒頭副代表(当時)の飯塚さんからご挨拶申し上げましたが、日頃より北朝鮮による日本人拉致問題に関しまして本当に深いご理解とご支援を賜りますこと、高い席からではございますが御礼申し上げます。ありがとうございます。(拍手)横田めぐみの件につきましては、すでに皆さま方深くご承知いただいているかと思いますが、家族からの話として一部ご紹介、もしくは日頃の活動についてお話申し上げたいと思います。

 横田めぐみは1977年の11月に、この美しい日本そして楽しい家族のもとから引き離されて拉致をされたわけであります。わずか13歳という本当に子どもです。学校のクラブのバトミントン部でしたけれども、友だちと帰って途中で別れてから、家とその拉致現場というのは本当にもう数百メートルの近い距離だったわけなんですが、そこで消息を失いました。警察犬によって、嗅覚が鋭いですから、犬を何匹も使って調査をしたのですが、まったく手がかりなし、目撃情報なしということで、もう私たちとしてみれば当時の言葉で言うと「神隠し」ということで、本当に生き地獄の毎日であったわけであります。

 めぐみは今年の10月で41歳の誕生日を迎えまして、今月(11月)の15日、拉致をされてから28年経過しました。それで私も含めてなんですが、皆さま方におかれましても、ご自身が13歳の頃どんな歳だった、どんな記憶があるかということを思い出していただきたいのです。中学1年生であります。本当に多感な頃で、夢が多くて自己実現をかなえようという本当に花盛り楽しい時期であったと思います。これはもうみんな一緒だと思います。本当に友だちがいて楽しくて、先生の授業は楽しいかどうか分かりませんけども、もう毎日が楽しい日々、明るい一日だったと思います。

 そして「クラブで勝って優勝したい」という夢もあったでしょうし、高校に入って「こんな勉強したい」とか大学に入って「こういう学部に入って勉強したい」とか「こんな仕事をしてみたい」とか、旦那さんと結婚してお子さんを持ってとか、そんなことを本当に夢見ていたと思います。これは誰もが平等に与えられた権利、夢だったと思うんですが、儚くも姉はこの夢をかなえることができず、北朝鮮の工作員によって拉致をされたわけであります。もう人生の3分の2以上があの夢も将来もないような貧しい、精神的に貧しい北朝鮮という地域、私たちは国交を持っていませんから国家ではありませんけれども、その地域において抑留されているわけであります。

 私たちはこうしてこちらから今お話をさせていただいているわけなのですが、こんな冬でもこうして暖かい場にいることができます。帰ってもお腹が空けば夕ごはんを普通に食べることができます。寝る時も温かい布団の中に入って安心して寝ることができる。明日も普通の朝がやって来るし、普通のお友だちとごはんを食べるかもしれません。どこかにお出かけになるかもしれません。将来に対してはほとんどの不安がないのがこの日本の地の状況だと思います。

 しかしめぐみを始めとする多くの被害者たちは今日食べることが保障されていないかもしれない。寝る所が屋外の寒い所かもしれない。それは私たちが色んな報道で、子どもたちが本当に乞食というような、向こうでは何と呼んでいるのか分かりませんが、本当にもう落ちているようなトウモロコシの屑を食べている、といったような状況であります。皆さま方のお手元に資料が配られているかどうか分からないのですが、脱北された女性とか男性のお話によると「落ちているネズミの足を食べたのがこれまでのごちそうだった」と言っていたこともあるわけです。本当に何も保障されていないのです。そして楽しい時も怒りにある時も、そういったことを感情を隣の人と周りの人と共有することもできない。思想の弾圧があって人権の弾圧が日々ある。本当に将来が保障されていない、悲しい毎日にいるわけなのです。それを28年間、そして人によっては30年40年も同じ状況にあるわけであります。

 これはたまたま私がこうして壇上でお話を申し上げておりますけれど、これは日本人一人一人がこの状況に対して怒って「北朝鮮を絶対に許してはならないんだ」ということを共同歩調で取り組んでいく必要が私はあると思います。

 めぐみというのはもう横田家の中では笑顔のシンボル、女の子でしたから、特に家の姉はしゃべるのが好きで明るい子でしたから、本当に賑やかな食卓だったわけです。しかしその拉致をされた当日、数日、1週間、1ヶ月、どこまで続くんだろうという重い雰囲気があって、いつのまにか姉の存在、姉の言葉というのが語られなくなった。それが色んな家族会の被害者のご家族の話を聞いてみると一緒の経過をたどっています。口にしてはならない重い雰囲気がいつも漂っていて、本当に生殺し生き地獄といったような日々を送っていたわけであります。

 そしてこの問題は今「拉致問題」と言われていますが、当時は「拉致疑惑」だったわけです。そして「拉致疑惑」の前までは何の状況もなかったですから、私の家族を含めて、皆さま方も含めて、この「北朝鮮」とか「拉致」っていう言葉はまったく知られていなかったのです。

 1977年11月に拉致をされてから約20年間、私の家族においてでさえ、めぐみの情報、目撃証言、そして北朝鮮という言葉は一切周りにはありませんでした。それは政府の怠慢なのか、ジャーナリズムの怠慢なのか分かりませんが、どこかの一部ではこの状況は語られていたわけでありますけれども、世の中ではそれについては来なかったわけであります。その時期にもしジャーナリズムが正義感を働かせて動きそして日本政府が国民を守るべき基本的な使命を果たしていれば、この問題が解決するのはもう少し早く図られていたんではないか?と思います。

 そして1997年、約20年後に家族会が設立され、私たちは今でこそこうした大規模なかたちでお話をする機会を頂戴しておりますけれども、当時は本当に街頭でたすきをかけて皆さまにお訴えしても、誰もこの問題を知らないわけですから、これは当然のことだったのかもしれませんが誰もが耳を傾けてはくださらなかったのです。私たち被害者(家族)は「どうして私たちの本当の声を聞いてくださらないんですか?」と申し上げます。そうしてある時には、マスコミが有識者とされる、それもほとんど北朝鮮に利敵行為を働く方々が「これは拉致疑惑である」と「誰も証拠はないんだ」ということを声高に叫び、私たちの活動を妨害しようとした方々も多くいたわけであります。本当に苦しい言葉にできないような情景が続いて、2002年まで私たちは生き地獄の中をさまよっていたわけであります。

 しかしどうでしょうか、小泉さんのお力もあるのですが2002年にようやく平壌訪問、日朝首脳会談というのが図られたわけであります。この時に初めてご承知の通り北朝鮮が拉致の問題を認めたのです。「自分の国家が犯した罪である」ということを自らが認めた瞬間でありました。その時の日本中がひっくり返ったさまは皆さま方もご記憶にあるかと思います。当日の夕刊新聞、翌日の朝刊、これはもうひっくり返るということはこういうことなのだろうと思いますが、私たちも含めてもう頭の中が真っ白でしたし、本当に日本中がパニックに陥ったわけであります。

 今まで「そんなことはありえない」と言っていた方々は、いつの間にかテレビ画面や新聞からはいなくなってしまいました。自分たちが言ってきた余りにもくだらないことが瓦解してしまったわけであります。そうして初めて拉致問題ということが世の中の皆さま方によって認められ、政府に認められ、そして国際的にも一歩進んだ瞬間でありました。

 しかし諸手を持って私たちはそれを喜ぶことができませんでした。ご承知の通り“生存組”と“死亡組”というかたちで北朝鮮は欺瞞情報を言い続けてきたわけであります。しかもその手で死亡とされた情報というのは、あくまでも彼らが言ってきた事柄を日本政府の外務省の方々が伝えただけであって、誰一人として科学的にも人対人で確認したわけでもありませんでした。

 私たちは外務省に翌日詰め寄りました。「これではおかしい」と。「生きている人間が死んでいるという情報が、この状況で日本中に広がってしまうと、めぐみを始めとする被害者たちが殺されてしまうじゃないか。そういう報道操作は止めてほしい。今すぐ大洋州アジア局長がテレビに出るなりされてこの問題を否定してほしい」と訴えました。しかし外務省は今もあまり変わりませんが、まったく冷たい姿勢で私たちを相手にしませんでした。あたかも先ほど飯塚副代表、真鍋専務理事がおっしゃったように「日朝の国交正常化を図ろう」という目的があったように思えます。それをもって私たちの拉致問題がすごく邪魔だったのかもしれません。私たちに対してはまったくの冷たい姿勢を取り続けておりました。

 しかし皆さま方の関心とお力添えによって2002年9月17日、約1週間あまり前の9.11においてはアメリカにおける同時テロが起きたわけであります。北朝鮮としてはまたアメリカがテロ国家、人権蹂躙国家の北朝鮮自国に対して「矛先が向いてくるのではないか」ということを心配して、そして「日本からの経済援助、多額な経済協力をもらいたい」ということが裏腹にあってこの拉致問題を認めたのです。そして皆さん方の本当に強い意志、態度、行動によって日本政府を動かしたのです。そしておかげさまで拉致をされた直接の被害者5人の皆さん方、蓮池ご夫妻、地村ご夫妻、曽我さんが帰って来られました。

 今までの私たちの取り組みの中では、ここまで進むとは正直思っていませんでした。しかし皆さん方のこの民主主義のもとにある「常識を取り返すんだ」「日本人を取り戻すんだ」という強い意志が私たちの味方についてくれたわけであります。こうした譲歩ではなく圧力こそがこの北朝鮮問題を解決する道筋である、ということを証明した瞬間だったのです。

 先ほどどなたかもお話されていましたけれども、今まで日本の北朝鮮に対するコメ支援というのは120万トン以上あるのですが、しかし実際にそこで支援されたコメもしくはコメに代わる物が、私たちがテレビで見るような貧しい子どもたち、トウモロコシの屑を食べているような本当にかわいそうな子どもたちが口にできているか?というと、まったくそれは嘘なのですね。もうあそこの国というのは完全にセパレードされていますから、一部の特権階級、政府の高官、金正日はそのトップにあるのですが、そういった人間しか口にできないのです。

 家族会は、私も今回は行かせていただきましたけれども10月24日から29日に訪米をしました。その時にある政府の高官が言っておりました。「北朝鮮には経済なんかはないんだ」と。「・・エコノミーなんだよ」と彼らは言っておりました。つまり「私たちが北朝鮮にコメを送るのを止めてしまうとみんなが困る」とよく日本の有識者とされる方たちが言っておりましたが「そんなことはありえないんだ」と。「元々経済というのはごく一部の宮殿経済、・・エコノミーの人たちしか恩恵を受けていないんだから、ここを止めても決してかわいそうな人たちは本当は困らないんですよ」と。だからそこは私たちが経済制裁、つまり彼らは「もっと言葉を上手く使った方がいいよ」と「スマートサンクションとかターゲティックサンクション、こういったことはとても効果があるんだ」ということを私たちに助言をしてくださいました。

 つまり私たちが安易なコメ支援とかそれに代わる経済支援をしてしまうと、さらに今までも自分たちの懐に入れていた方々が肥えてしまうわけですね。そして本当に困っている人、さらに弾圧して何も食べられない人がもっとこの先将来長く食べられないという境遇が生れてしまうということなのです。これは脱北者の方々も口を揃えて同じことを言っています。「日本が安易に妥協して政治の思惑絡みでコメ支援なり経済協力してしまうと実は多くの人々を殺してしまうのですよ」ということを多くの方が口を揃えておっしゃいます。

 そうした日本の無策、顔のない外交というのを私たちは許してはならないと思います。一時援助すると困った人が助かるんじゃないか?といったことを考えてしまいがちです。私も初期の頃はそういう考えもありました。しかしそれは相手がどこの国なんだ?と、誰がその国のトップなんだ?と知った時に、それは明らかに間違えの選択肢であるということを私たちは再確認していく必要があると思います。

 そして北朝鮮問題、私たちはたまたまこの拉致問題というかたちでお話をさせていただいております。しかしご承知の通り現在六者協議が開催されておりますが、核の問題ですとか大量破壊兵器拡散の問題、偽札、麻薬、人身売買、色んな問題があります。およそ私たちが知る“悪”と言われるものがすべて彼ら発ということなのであります。核の問題ですが、弾道ミサイルに核弾頭を積んで発射してしまえば、およそ約20分弱でこの日本に着弾するのです。そういう意味においては核ミサイルに関わらず拉致問題を含めてこの問題というのは、私たちここにいる壇上の者だけの課せられた使命だけではなくて、皆さま方お一人お一人においても等しく降りかかった危機なのであるということを認識していく必要があると思います。彼らの悪事を絶対的に許さない、懲らしめて許さないんだということを誓えばこの日本は安全であるし、そして私たちの将来、子どもたち孫たちも明るい将来を保障されていくと思います。

 そして拉致の問題に関して申し上げれば、5人の方々とそのご家族はおかげさまで帰って来ることができましたけれども、私の姉を始めとする死亡組とされる人々、先ほど真鍋さんからお話のあった特定失踪者の方々、相談件ケース入れると460件のお話が先ほどありました、そういった方々が帰って来られていない、未解決である。ということは、今日現在も拉致が行われている可能性がある、ということを私たちは強く認識していいと思います。つまり現在進行形のテロだということです。私の姉を含めて、おそらくそれは一人の工作員が偶発的にあの人がいたというかたちで拉致をしたわけではないと思います。これは確信を持って言えるわけであります。

 あそこの国は完全な指揮系統の中で生活していますから、一人の人間が自発的に何か好きなことをやれるような社会ではないのです。北朝鮮においては金正日の直接的指令・指示によって何もかも動いてしまう。彼の承認なくしては物事が判断・決断されない国家でありますから、今回の拉致事件もすべてのことにおいて北朝鮮が直接的に指示をしているのです。そうした意味では、国家テロが20年も30年も40年も前からこの日本を犯し続けている、ということを私たちは理解していく必要があると思います。

 不審船の問題もそうです。人権問題、人権蹂躙、領土侵入、もうありとあらゆることがこの日本において過去から今もされているということ、この事実を理解した上で、そして相手がどんな相手なのか?と理解した上で、彼らに対する選択肢がどうあるべきかと、そして私たちがお訴えすることと日本政府が未だに躊躇しているこの実態、どちらが正しいのか?ということを私たちは強く判断していく必要があると思います。

 ちなみに言うと私個人的には、めぐみ、そして他の拉致被害者の方々の誰かもしくは多くの方々が新潟から行き来している万景峰号の船に乗せられて拉致をされた可能性もあると思っています。これはもうすぐ色んなことによって明らかになるのかもしれませんが、少なくとも今日本国民の意思によって国会を通過させた二法案は成立しまして、経済制裁法案は“外為法”と“特定船舶入港禁止法”でございますが、せめてこの不審船の母船とも言われる万景峰号を止めて私たちの国家の意思を示していく必要が私はあると思います。

 そのために日本政府に対して、もっとあなた方は強い姿勢で北朝鮮にでるべきだと声にしていただけないか、と私は思います。皆さま方のお手元にも今日こうした青いはがきが入っていると思いますけれども、これは内閣官房気付の小泉総理大臣に着く手紙になっておりますが、皆さま方お一人お一人の声を日本政府の外交に意思を表明していただきたいのです。

 私はこうして集会・講演会、街頭でお話させていただく機会がございます時に、皆さま方から「私たちに何ができますか?」という温かい言葉を何度もいただきます。そして私はいつも例えとして申し上げておりますけれども、この問題が疑惑の頃に私はインターネットを使って首相官邸に毎日に近い状態でメールを送っていました。抗議のメールです。「日本政府の曖昧な外交姿勢はやめてほしい、改めてほしい」ということを何日も何回も送りました。それは大蔵省、経済産業省、警察、あらゆるところに送りました。そして誰もが「そんなことをしても誰も見てくれてないよ」と言いました。

 しかし初めて首相官邸にお邪魔した時に、当時安倍官房副長官が私にわざわざ歩み寄ってくださって「あなたが拓也さんですか?私はあなたの抗議のメールをいつも見ていましたよ」とおっしゃってくださいました。見てくださっている人は見ています。そしてそれが安倍副長官であれどなたであれ、そうした善意の方々はどこの組織にもいるはずなのです。そうした方々に共感を生むように私たちの国民の意思、民主主義の正義の意思を伝えていくことが力になって、世論となって民意となって政府に対する圧力につながると思います。

 先ほど議員の方が「皆さま方が圧力団体になってほしい」という言葉がありましたけれども、これはそういうことだと思います。その一つの例がこの青いはがきであり、インターネットで首相官邸のホームページを開けばご意見箱のタグがありますから、そこに皆さま方のお声を一個一個積み上げていくことができると思います。

 インターネット以外にもファックスでもお電話でもお手紙でも結構です。外務省にも送ってください。そうしたことが本当に広がりにもなっていきますし、そしてそれは政府に対する抗議だけではなくて、今日私がこうしてお話をさせていただく機会のことについて、お帰りになりましたら明日以降でも「こんな話を聞いてきた」とお一人でも多くの方にお声をかけていただくことがこの問題の関心をつなぎ止めていくこと、日本政府の安易な妥協を許さないということにつながるはずなんです。

 私たちは被害者か加害者かと言えばこれは北朝鮮が認めたのでありますから明らかに被害者です。明らかに彼らが加害者なのです。私たちが妥協することはない。私たちがここでうろたえていたら家族、兄弟、家族が困るとともに、この日本の曖昧な外交姿勢そのものが私たちの子どもたちにも悪い教育に実際なってしまうと思います。私たちが間違いは間違いということを北朝鮮に突きつけて、誰もが見ても私たちは正しいことをしている、ということを訴え続けていく必要があると私は思います。

 そして日朝国交正常化の件で申し上げると、政府も外務大臣も官房長官もおっしゃっておりますけれども、国民お一人お一人が改めて認識していかなくてはならないのは、国交正常化の前に拉致問題が解決されなくてはならない、ということでございます。真鍋専務理事からもございましたように「拉致問題は日朝国交正常化の後で良い」という話に仮にしてしまえば日本政府は隠したがります。北朝鮮政府も隠したがります。「拉致問題はなかった」ということで20年前に戻ってしまうのです。そうしたことを許さないためにも、日朝国交正常化は絶対に拉致問題の後でということを日々の政治、国際的な動向を見守っていただきたいと思います。(拍手)

 また特定失踪者問題調査会の真鍋さんの方からあえてお話されなかったと思うんですが、こういった皆さま方からお送りいただくはがき以外にも、特定失踪者問題調査会の運動として“しおかぜ”という短波放送の活動をされています。これは調査会の組織が主催しています。短波放送で拉致被害者の方々や北朝鮮に捕らわれている日本人の人々の一人一人のお名前を呼んでいる活動を今しています。つまりは自分たちがもし北朝鮮にいて「誰も日本の人が知らない」と思ったら絶望的だと思うのですが、その日本から名前を呼ばれた時にすごく心強くなるじゃないですか。「決して忘れていない」と私たちが声を出すということです。

 この活動を地道に始めています。しかし私が言うとちょっと欲深い話に聞こえてしまったら恐縮でございますけれども、その短波放送のお金は年間500万からかかるそうでございます。これを私たち民間団体というか任意団体です、普段仕事を持っている方々ですから、別に経済的な余裕があるわけではないのです。できましたら皆さま方の温かいお力を活動のため、ひいては私たちの家族のためにご助力をお願いできれば幸いでございます。

*しおかぜ通信
http://www.senryaku-jouhou.jp/shiotsuu.html

 また明日以降、この問題をご友人とか知人の方々にお話いただく機会がございましたら、今有楽町のマリオンで家の写真展をやっています。これは昨日のNHKでも母が話しておりましたけれども、たまたまですが横田めぐみの写真展です。しかしめぐみの写真展だけではないと思ってぜひ見ていただきたいんです。これと同じ家族が400〜500人もいるということを思って、この問題の根深さ、広がりというものをぜひ直接目で見ていただく機会がございましたらお願いをしたいと思います。

 お時間がちょっと超過しているようでございますので最後に申し上げますけれども。皆さま方のお力添えで帰国された5人の方々がいらっしゃいます。本当に解決のための前進だったと思います。私はあえて彼らに申し上げたいのは、もっと彼ら自身が拉致問題に直接結びつかないとしても、見聞きしたこと拝見してきたこと生活してきたことを、私たちが聞く前に彼らの口から自発的に私たち国民に対してお話していただけないかということを思っています。(拍手)

 これは何故かと言うと、拉致の問題を本当に知らないのかもしれない、もしくは知っていても怖くて言えないのかもしれない、それは何とも分かりませんけれども、どんな生活をしていたか?ということが、例えば私にはまったく関係のないことかもしれないけれども、ある北朝鮮専門家から見れば「こういう物を食べていたということはこういう生活待遇にあったんじゃないか?」と推測ができる。「こういう建物に住んでいた」と話せば、私には分からなくてもある人が聞けば「こういう地域のこういう建物にいたからこういうことじゃないか?」と、点と点が線につながる可能性が大きいと思います。そういう意味では、私は色んなこと関係のないこと間接的なことでも結構ですから直接国民の前で自発的にお話していただきたい。そろそろ帰国されてから3年、ご家族も戻られているのでありますから、私たちがお願いをする前にどうかお話していただけないかと。

 あともう一つは横田めぐみという名前を初めて挙げていただいた亡命元工作員の安明進さんと彼ら5人が直接会ってほしいと思います。安さんは北朝鮮の方ですから国内のことはすべて承知しているわけです。一方彼らも23年間24年間北朝鮮国内に抑留されてきて目撃している可能性があるのです。その人たちの情報を合っているとか間違っているとかそういうこともあると思うのですが、それは私たちは問いません。それぞれこの問題を解決するためにお互いが会って「ここはそうだった、こうだった」とつなぎ合わせてほしいのですね。それを私たちはお願いしておりますけれども、今のところ悲しいかな実現できておりません。そういったことも私はゆくゆく皆さま方のお力を借りながら現実的なものにしていきたいと思っています。

 横田めぐみを始めとして、私はこうした集会でいつも申し上げているんですが、多くの被害者たちはこれまでの30年40年の失った時間というのは取り戻せないのです。取り戻せないのですが、これからの時間を取り戻してあげることはできるのです。それはアメリカは助言や協力はしてくれる、ヨーロッパや国連の人権委員会も手伝ってはくれるかもしれないけれども、当事者である我々が力を意思を態度でもって解決することができると思います。他人がやってくれることではないのです。私たち国民が自分のことを我が事としてこの問題に取り組んで向き合って「北朝鮮を絶対に許さない」という行動・意思として表すということが大事だと思います。(拍手)この活動そのものが私たちのひいては自分たちの将来を明るいものにしていくと思います。

 飯塚副代表がお話されたように、私たちはこうして皆さま方にお訴えするしかないのです。私たちは外交官でも政治家でもありません。訴えさせていただくことしかできない。そして皆さま方に「お一人でも多くの方に広めてください」ということしか言えないのです。しかしこれは民主主義の国家ですから一番力強い圧力につながるはずなのです。私たちはそれこそ母の言葉を借りれば「このままでは死にきれない」のです。「絶対に死んでもこの問題を解決しなければいけない」ということであります。

 私たちが今回訪米した時にも、上院・下院・政府高官・国務省・国防総省のあらゆる方が私のこと、母や父のことも全員知っています。彼らは基本的に日本の民間人に会うことはありません。しかも日本の政治家であっても基本的に向こうの議員が直接会うことはまずないと言われています。しかし私たちに全員が会ってくれた、ご本人が会ってくれたのです。その方々がみんなこの問題を注視している。見守ってくれているし「何ができるか?」と言ってくださいます。本当にありがたい話ではあります。しかし私たちが動かなくてはこの問題は動かない。小泉総理に色んな手を使って動いてもらうよう私たちが具体的な行動に出なければいけないと思います。

 本当に私たちは訴えるしかありません。ぜひ、色んな事件があってこの問題が時々霞むことがございますけれども、どうか変わりないご関心を持ち続けていただいて、日本政府に私たち民意を伝えていただければと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。(大拍手)

*カテゴリ「拉致被害者 横田めぐみさん」
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posted by あおいのママ at 07:42| 千葉 霧 | TrackBack(0) | 拉致被害者 横田めぐみさん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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