
*あおいのママとパパ(夫)は2010年10月23日、東京都庁で開催された「北朝鮮による拉致被害者救出のための集い 〜拉致被害者・特定失踪者問題へ理解と関心を〜」にボランティア参加をしました。(会場:東京都庁 都民ステージ 主催:東京都・東京都議会議員連盟・特定失踪者問題調査会)当日、約1000名の方々が会場に足を運んでくださいまして大盛会となりました。
今回は「山本美保さんの家族を支援する会」のブースで配布されていた資料より2009年6月に読売新聞山梨版で連載された記事(1)〜(7)を順次ご紹介致します。よろしかったらご覧になってください。手打ちのため間違いのある可能性もございます。どうぞご了承ください。“失踪25年”は2009年当時、今年2012年の6月4日で“失踪28年”ということになります。本当に長い時間です。
*特定失踪者 山本美保さん 昭和59(1984)年6月4日失踪
調査会公開リストより
http://www.listserver.sakura.ne.jp/cgi-bin/list/list3.cgi?word3=122&mode=search3
*山本美保さんの家族を支援する会
http://web.me.com/k.yasushi/YAMAMOTO_MIHO/Welcome.html
*カテゴリ「特定失踪者 山本美保さん」
http://akemama13.seesaa.net/category/3945080-1.html
*失踪25年(1)家族の思い 「拉致では」胸騒ぎが確信に
(読売新聞 '09年6月3日山梨版より)
http://akemama13.seesaa.net/article/255208832.html
調査会公開リストより
http://www.listserver.sakura.ne.jp/cgi-bin/list/list3.cgi?word3=122&mode=search3
*山本美保さんの家族を支援する会
http://web.me.com/k.yasushi/YAMAMOTO_MIHO/Welcome.html
*カテゴリ「特定失踪者 山本美保さん」
http://akemama13.seesaa.net/category/3945080-1.html
*失踪25年(1)家族の思い 「拉致では」胸騒ぎが確信に
(読売新聞 '09年6月3日山梨版より)
http://akemama13.seesaa.net/article/255208832.html
【読売新聞 平成21年(2009年)6月4日山梨版より】
失踪25年(2)山形の遺体 DNA鑑定 今も疑問
2004年3月5日夕、甲府市宝にある県警の厚生施設「ニュー機山」(当時)の一室。森本美砂(45)は夫の直行(46)と2人で県警警備1課の幹部3人とテーブルを挟んで向き合っていた。
幹部の一人が、DNA鑑定結果という書類の数字を指して切り出した。「99.99…とありますね。これは遺体が(美砂との)一卵性双生児ということなんです。難しいことは私にもよく分かりませんがね」
説明を受けていた間も美砂の携帯電話にはマスコミからのコールが殺到していた。直前に民放キー局が、双子の姉、山本美保の消息を速報で流していた。「20年前に山形県で見つかった水死体と判明」。各社が一斉に裏付け取材に走っていた。
美砂は前日、県警幹部から連絡を受け、初めて「DNA鑑定」という言葉を聞いてから取り乱していた。家族にとっては寝耳に水だった。
県警はその後すぐに記者会見を開いた。「DNA鑑定の結果、山本美保は1984年6月21日に山形県遊佐町の海岸で見つかった身元不明の遺体であると判断した」と発表した。
発表文には、「北朝鮮から韓国に亡命した権革(クォンヒョク)が『94年頃、北朝鮮国内において見かけた女性が山本美保さんにそっくりである』と証言したとされている」とした上で、「北朝鮮国内で生存していた可能性はない。自殺の可能性もあるが、捜査を継続する」と結んでいる。遺体の詳しい説明はなかった。
この日を境に特定失踪者※のシンボル的存在だった美保は「死亡」していることになり、救出運動は急速にしぼんでいった。「あんなに前向きだった姉が自殺する訳がない」。県警発表の翌3月6日、美砂は記者会見中に気を失い、机に突っ伏してしまった。
家族が知らない間に進められていたDNA鑑定。県警幹部から「血液を採取したい」と連絡があったのは03年4月だった。翌5月、美砂は父、光男が入院していた県立中央病院で血液を採取された。後に美砂らの問い合わせに対して県警が回答した文書では、このときを含め計4回の機会に「山形県の遺体とDNA鑑定をする旨を話した」と説明している。
しかし、美砂は「県警からは『今後の捜査のために必要』と言われただけで、DNA鑑定のことや、ましてや姉の可能性のある遺体が存在していることを4回も聞き漏らすはずがない」とあきれ果てたように言う。
特定失踪者問題調査会の荒木和博代表は県警の発表の1か月ほど前に政府関係者が「あまり騒がないほうがいい」と発言したことを明かす。「当時、特定失踪者に該当するケースが次々と出てきて、日朝交渉が難しくなっていた。県警の発表文にはこの問題を幕引きさせたい意思が読み取れる」と分析する。
県警幹部は5月22日に家族らから提出された捜査に関する質問状について問われると、「何もコメントできない」と口を閉ざした。
県警の発表から5年。家族や支援者が「真相を知りたい」と活動を続けているのは、美保とされる遺体や遺留品、そして、決め手としたDNA鑑定の経緯に釈然としない思いがあるからだ。(敬称略)
※特定失踪者 1977年11月、新潟市で北朝鮮の工作員に拉致された横田めぐみさん(当時13歳)など政府認定の拉致被害者とは別に、「特定失踪者問題調査会」(東京都文京区)が拉致の可能性が高いとみている行方不明者。
*写真:県警の発表の翌日、記者会見する美砂。「今後も協力を」と訴えた後、気を失う(2004年3月6日夜。左から、特定失踪者問題調査会代表の荒木、同会理事で山梨大学教授の山下滋夫、美砂)
*(3)に続く
*失踪25年(3)捜査資料 遺体と下着「特徴違う」(読売新聞 '09年6月5日山梨版より)
http://akemama13.seesaa.net/article/255211948.html



