*写真は神奈川県民集会(横浜情文ホール)のロビーにて特定失踪者問題調査会のポスターを撮影しました。
*2007年1月14日の神奈川県民集会の際、特定失踪者 高野清文さんの妹・美幸さんからいただいた特定失踪者 川合健二さんの資料です。これは前年暮れの12月16日、日米同時集会が各地で行われたのですが、その中の一つの山梨県甲府市で開催された集会で配布されたものだという事です。美幸さんはその集会で登壇されました。集会主催の「山本美保さんの家族を支援する会」作成の川合健二さんの資料をご紹介致します。
昭和54年(1979年)旧竜王町より失踪 川合健二さん 失踪の概略
川合健二さん、昭和22年生まれ。三重県久居市出身。昭和54年4月4日。当時32歳。奥様と二人の子供がおり、千代田生命甲府支店韮崎営業所長として竜王町(現甲斐市)の社宅に住んでいた時に失踪。健二さん失踪後、残されたご家族は三重県にある健二さんの実家に住んでいる。
夜間、八田村(現南アルプス市)の県道で交通事故を起こし怪我(軽傷)を負った相手を自ら病院に運び、治療の合間に「免許証を取りに行ってくる」と言って10時頃車で病院を後にしたのを最後に行方不明となった。
失踪当時は事故を苦にした自殺と、奥さまや関係者は考えた。しかし、その時乗って出掛けた濃紺色のカローラが発見されていない事が不思議に感じられた。テレビに出演したり「たずね人」のポスターを全国の警察に2万枚貼ってもらい、情報収集をしたが何の手がかりも掴めなかった。
拉致の可能性に思い至ったのは平成14年の拉致被害者5名の帰国がきっかけであった。
失踪する昭和54年以前に、3回ほど「ヤマちゃん」と呼ばれていた人が竜王の社宅に来た事がある。3回目は「金を貸せ!」と夜押入ってきた。健二さんが留守で奥様が対応し、凄い恐怖を感じながら5000円渡して帰ってもらった。帰りながら玄関の植木鉢を蹴飛ばし割って出て行った。帰ってきた健二さんにその事を話すと「ヤマちゃんは朝鮮人なんだ」と言っていた。
数百人もの日本人が拉致され北朝鮮におる可能性がある事を知り、「もしかしたらヤマちゃんは土台人(工作員の在日協力者)で、主人が事故後にヤマちゃんに相談して、しばらく身を隠せ・・・と勧められ、そのまま拉致されたのでは・・・」と奥様は思うようになった。
「主人が日本国内にいてくれたら嬉しい。北朝鮮にいるなら救出したい!」と三重県で健二さんの帰りを待っている。
川合 健二
・身長 167cm
・体重 55s(当時)
山梨県には昭和54年4月4日失踪の川合健二さん以外、同じく昭和54年6月4日失踪のAさん(名前非公開)、昭和59年6月4日に失踪した山本美保さんが特定失踪者リストに載っている。
美保さんとAさんは、年は違っても6月4日と同じ失踪日である。3人とも4日という日はいずれも同じである。単なる偶然とは思えず、日本海の海岸から出港する日に合わせるため、必然的に同じ日になってしまうのかもしれない・・・と何らかの意味を想定してしまう・・・。
山本美保さんの家族を支援する会
*特定失踪者 川合健二さん 昭和54(1979)年4月4日失踪
調査会公開リストより
http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi?word3=103&mode=search3
*山本美保さんの家族を支援する会
http://homepage3.nifty.com/KOFUHIGASHI-3/




